俺だって毎日が冒険
はじめに
初めまして。
立ち飲み居酒屋ドラム缶®︎の創業者の竹下と申します。
立ち飲み居酒屋を創業する前は、バンブーカフェというバーを20店舗ほど経営してました。
その前は、ラッパーです。
その間、不動産の営業などもしていました。
ラッパーだけではなかなか食べていくことができなかったので、昼は不動産の営業マン夜はクラブでラッパーの2足のわらじで活動していました。
なので飲食店に足を踏み入れたのは、28歳と少し遅めでした。
ラップのグループの仲間と四人でバーを開店したのが飲食に入ったきっかけです。
この初めてのお店が「バンブーラウンジ」という地元「千葉県市川市南行徳」にあるバーです。
ちなみにこのバーはまだあります。
地元の後輩が引き継いで、今でも営業してくれています。
このバーは創業してすぐに、売り上げが上がっていたので出店攻勢をかけるため開店3ヶ月目に2店舗目の出店をしようと計画したのですが創業四人のメンバー方向性の違いで次の出店ができなく私は店を離れる事になりました。
その離れている間少し不動産の営業で食い繋いでいたのですが、その時にバーの居抜きが物件として出てきたのです。
その店は、地元の先輩が経営していたのですが、やめるというのです。
理想の南行徳の隣駅の「行徳駅」にあるハワイアンなバリみたいなおしゃれなバー。
「絶対やりたい」勝ち筋は見えていました。
隣駅で始めた時に客の流れや客層などすでに見えていたのでこの場所でやれば絶対に客は入る!
何より自分も地元なので仲間も来てくれる!
少し古い物件でしたが家賃も安いし、場所もいいし、何より前の店の客がついている。
そしてなんとその店で働いていたスタッフの女の子「のこちゃん(仮名)」もそのままスタッフとしてやってくれるとの事。
これは絶対やるしかないと思いました。
その時の物件の価格が、
家賃10万円
居抜き代100万円
保証金100万円
でしたので、200万円位をとにかく用意しなければできませんでした。
この200万円の用意は当時流行っていたサラ金からの借入で用意しました。
すぐに支払って物件は取得する事ができました。
ただ問題なのがサラ金の返済がすぐに迫ってくるので、売り上げがすぐに欲しかったのです。
とはいえそのままやるのもと看板を変えて、店内を白ペンキで塗りたぐって雰囲気を変えて開店する事にしました。
その間10日間。
5月1日入居で5月10日グランドオープンです。
この間に営業許可やら皿やらなんやらの準備です。
果たして間に合うのか?
ちなみにスタッフは、
自分が店頭に立ちます。
自分とその女の子のこちゃん(仮名)でお店を回すのです。
ちなみにこの「のこちゃん」は地元の2個下の後輩であります。
つづく